埼玉医科大学 病理学・中央病理診断部

沿革

埼玉医科大学医学部病理学教室は、昭和47年の埼玉医科大学開学時に第1および第2病理学教室として発足しました。開学時から初代教授として活躍されたのは、吉井隆博教授(第1病理)と高濱素秀教授(第2病理)で、昭和53年に吉井教授がアメリカで病没されたあと、昭和54年には片山勲教授が第1病理学教室に赴任しました。片山教授と高濱教授はそれぞれ平成10年3月と平成13年3月の定年退任まで活躍され、今日の病理学教室の基礎を作られました。その後,平成10年秋には廣瀬隆則教授(第1病理)が、平成13年7月には清水道生教授(第2病理)がそれぞれ病理学教室に赴任しました.平成13年10月にはそれまで大学付属病院中央検査部の1部署であった病理検査室を中央病理診断部として独立させ、清水教授がその部長に就任し、組織上の大きな変革に機動力を発揮されました。その後、第一病理学教室と第二病理学教室が統合され、廣瀬教授が病理学教室の主任となりました。平成19年春に埼玉県日高市の埼玉医科大学国際医療センターの病理診断科が開設され、清水教授がその科長として赴任しました。平成19年4月に安田政実教授と村田晋一教授が、平成21年4月に佐々木惇教授が埼玉医科大学国際医療センター病理診断科に着任し、平成22年4月からは佐々木惇教授が現職に就いています。平成26年10月に山田健人教授が赴任しました。